アマチュア数学者の日記

とある大学で数学を学んでいます。専門は偏微分方程式です。高校野球、マラソン、カメラ、数学、etc...多趣味です。様々なことを書いていきます。

僕の受験生時代を振り返るpart1~現役生時代

こんにちは 

12月も中旬に入り本格的に金欠なシーズンが到来しました。

今年は忘年会の参加を抑えているつもりではあるのですが、この時期はどうしても出費が重なります。

街に行けばお金を使う誘惑が多すぎるのでおとなしく家でブログでも書きます。

12月といえば受験シーズンでもあります。何度かこのブログでも書いているのですが、塾講師のアルバイトをしているため、受験生は必死に勉強しています。

頑張れよ、受験生

 

ということで、今日は僕の受験時代を振り返ってみたいと思います。

僕は一浪して大学に入っているので、この手のネタは比較的書くことがたくさんあるのではないかと思います。

今日は現役時代について

 

調子に乗りまくっていた高校時代

僕の通っていた高校は僕の地元沖縄県ではトップ高ではないものの、比較的「できる」方の高校だったと思います。実際に僕が受験した時も県で1番倍率の高い高校でした。

(今の時代でも高校入試の倍率が2倍近くありました。というか沖縄県全体として子供の数が非常に多いため、高校入試の倍率は全国でも有数の高さです。学力が高いかどうかは置いておいて)

しかし、忘れてはならないことが一つあります。それは沖縄県は全国で1番学力の低い県であるということ。

また、僕の高校では、推薦で進路を決める人が圧倒的多数を占めるので、ほとんどの生徒はセンター試験など受験しません。よって相対的に僕の順位は学校でも上の方でした。僕はそんなことも気にせず、すっかり井の中の蛙になっていました。

でも、大学入試は全国の高校生が相手です。ましてや県外の大学に行くならば、それ相応の覚悟が必要となります。初めの頃こそ地元の琉球大学を目指していたのですが、調子に乗った僕は、

「県外の国立大学に行く!」

と声を高らかに宣言してしまいました。これがまさに終わりの始まりってやつです。この瞬間から僕の浪人は確定してしまいます。

そんなことを考えもしなかった僕は、一応それなりに勉強をしました。普通の受験生くらいにはやっていたと思います。模試の結果もまぁ悪くない。本番の結果にワンチャンかけてもいいかな、というくらいの点数でした。

いざセンター試験

そうこうしているうちに僕にとって初めてのセンター試験がやってきました。

あまり詳しいことは覚えていないのですが、580~590点くらいだったと思います。600点行かないと厳しい戦いになるといわれていたので結構焦りました。

1番焦ったのが、数学ⅡBが50点くらいだったこと。この年の数学ⅡBは平均点が過去最低点の40点くらいの年でした。そうはいっても数学科志望だったので50点は致命的な点数です。

後期に受験を考えていた琉球大学は2次試験がなく、センター試験の点数のみそ参考に合否を決定するというシステムでした。また、数学・物理の点数を2倍に傾斜する配転にもなっていました。

僕はこの時点で後期の望みが消えました。前期一本で某県外の国立大学を受験しました。ちなみに私立大学は1項も受けませんでした。本気で受かると思っていたので。

2次試験

2次試験の出来は最悪でした。特に英語が。ナニコレ?って感じの問題もあり、全然できなかったのを覚えています。しかし、終わった後も現役生特有の「いけるっしょ」というノリが残っており、合格を確信していました。

そして卒業式も終わり、受験のことなど頭の片隅にもなかった春休みの途中に合格発表を見ました。すると、

「ない。。。」

僕の受験番号がないのです。そりゃあれだけ出来が悪ければ、不合格なのも当たり前です。しかし当時の僕には受け入れることのできない事実でした。中学、高校と比較的「できる」生徒だと思っていた僕が落ちるはずないと。ただただ悔しかったことを覚えています。

ただそれでも後期ワンチャンあるかもしれないなどと自分に言い聞かせ、春休みを謳歌していました。そして後期の発表の日。僕の番号はありませんでした。この時点で浪人が確定します。

ここで一気に現実を知ります。「あぁ俺は全然できないんだな」と。

合格発表のその足で予備校に向かい春期講習の申し込みをしました。

 

まとめ

・勉強に対する考えが甘かった。

・謎の自信を持ちすぎて調子に乗っていた。

・模試などの結果の現実を直視せず、ただ自分のやりたい勉強をしていた。

 

これから受験を考えている皆さんは、こんな受験生になったら落ちますよ。

次は浪人時代のことを書きたいと思います。

 

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